Xylomania Studio - Studio 2
エンジニア 古賀健一氏のこだわりが詰まった
11.2.6.4ch対応の次世代イマーシブ・スタジオ
Ado、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Official髭男dismなど、多くのアーティストを手がけてきた古賀健一氏は、早くから“音楽のイマーシブ・ミックス”に取り組んできたレコーディング・エンジニアとして知られています。2019年には自身のホームグラウンドである『Xylomania Studio(シロマニア・スタジオ)』を“DIY”で改修し、9.1.4chのモニター・システムを導入。近年は音楽作品だけでなく、映像作品のイマーシブ・ミックスにも積極的に取り組んでいます。
「昔から立体音響には可能性を感じていて、Dolby Atmos®というフォーマットにはかなり早い段階から注目していたんです。ただ、トップ・スピーカーが必要なので、なかなか取り組めないでいました。しかし映画の世界ではどんどん普及し始めていたので、だったら将来を見据えて、自分で実験できるスタジオを造ってしまえばいいんじゃないかと思ったんです。最初は知識が無かったので、5.1.2chか5.1.4chで十分だろうと思っていたのですが、当時Netflixが発表したガイドラインに7.1.4chと書いてあって……。“え、どういうこと?”って(笑)。7.1.4chですと、予算的に個人では難しいと挫折しかけたのですが、がんばって会社を設立して借金をしてスタジオを造りました(レコーディング・エンジニア 古賀健一氏のXylomania Studio - Studio 1 )。
このスタジオを造ったときに“ビジネス的に大丈夫なの?”と訊かれたこともありましたけど、そんなことは一切考えなかったですね。単にやってみたい、立体音響の世界を知りたいという欲求だけで、それが普及するか、ビジネス的に上手くいくかなんて、まったく考えませんでした。でもその後、Apple Musicの空間オーディオ(Dolby Atmos)やSony 360 Reality Audioが登場して、ぼく的には神風が吹いたというか、凄くワクワクする展開になりました。Apple Musicと360 Reality Audioのおかげで、イマーシブに興味を持つ若いディレクターも増えていますし、ぼくの周りには空間オーディオをやってみたい、Dolby Atmosで作品を作ってみたいという人たちが自然と集まってくるんですよ。
音楽のイマーシブ・ミックスというと、よく“このジャンルには合うけど、あのジャンルには合わない”という話が上がったりします。でもぼくは、ジャンルによって合う/合わないは絶対に無いと思っていて、生楽器でも打ち込みでも、ロックでもオーケストラでも関係ない。“ビートルズはモノで聴くのが最高”という意見も分かりますし、確かに当時のレコードは素晴らしいサウンドだと思いますが、もし1960年代にイマーシブ・オーディオがあったら、彼らは絶対に使っていたと思うんですよね。ピンク・フロイドだってクアドラフォニックでアルバムを作っていたわけですし」(古賀氏)
『Xylomania Studio』の代表であるレコーディング・エンジニアの古賀健一氏
そんな古賀氏は2023年12月、『Xylomania Studio』に2番目の部屋となる“Studio 2”を開設しました。“Studio 2”は、これまでレコーディング・ブース兼サブ・スタジオとして使用されていたスペースを全面改修したスタジオで、常設のモニター・システムは“Studio 1”よりも規模が大きな11.2.6ch(+360 Reality Audio用のボトム4ch)という構成。8K対応のプロジェクターと120インチのサウンド・スクリーンも設置され、音楽作品のミックス/マスタリング作業はもちろんのこと、映画やVODといった映像作品のポストプロダクション作業にも対応する、ハイ・レベルなイマーシブ・スタジオとして仕上げられています。
「新スタジオ開設に向けて動き始めたのは一昨年(2022年)の夏のことで、去年(2023年)の3月に解体工事を始めました。きっかけとしては単純に、もう1部屋ちゃんとしたスタジオが欲しいと思ったからです。ぼくは2019年に日本初の音楽専用Dolby Atmosスタジオ(Studio 1)を造り、おかげさまで外部の人からも“使わせてほしい”と言われることが増えたのですが、それは嬉しい反面、人に貸してしまうと自分の仕事がストップしてしまうことに気づきまして(笑)。“Studio 2”は以前、レコーディング・ブース兼サブ・スタジオとして使っていたスペースで、Pro Tools | MTRX StudioとGenelecでDolby Atmosミックスができるようにしてあったのですが、“Studio 1”とのサウンドの差があり過ぎたというのも、新しいスタジオを造ろうと思ったきっかけになっています。でも、最初は仕込み部屋というか、“Studio 1”を人に貸しても自分の作業ができるスタジオくらいの気持ちでスタートしたんですよ……。しかしどんどん計画が大きくなってしまい、最終的にこんなスタジオになってしまいました。
“Studio 2”のコンセプトは、音楽だけではなく映像作品のイマーシブ・ミックスにも対応できて、レコーディング・ブースとしても機能するレンタル・スタジオという感じでしょうか。プロジェクターは8K対応で、サウンド・スクリーンも完備、ミックスだけでなくMA作業にも対応できる仕様になっています。こういうスタジオが東京というか日本には無かったので、効果さんや録音技師さんのためにも造りたかったんですよね。日本のDolby Atmos作品も5.1chで作ったものをダビングステージでアップミックスするのではなく、最初からイマーシブで気持ちよく作業をしてほしいなと。最近はダビングステージを使えるだけの予算がない映画も増えていますし、安価で広さなんてとても敵いませんが、ダビングステージに引けを取らない再生環境のスタジオにしたいと思ったんです」(古賀氏)
『Xylomania Studio』の新しいレンタル・スタジオ、“Studio 2”
“Studio 2”の大きな特徴と言えるのが、11.2.6chのモニター・システムによる“アレイ再生”に対応している点で、プラス4本のボトム・スピーカーによって、360 Reality Audioの作業にも対応。導入されたスピーカーは、壁面埋め込み型のPMC ciシリーズで、これにより圧迫感のない環境を実現しています。
「最初は9.1.6chのモニター・システムを検討していたのですが、プランニングを進めている間に同じフォーマットのスタジオがちょこちょこ出来始めて、後追いで9.1.6chのスタジオを造っても意味が無いかなと。ぼくは日本で初めて9.1.4chのミキシング・スタジオを造ったエンジニアであると自負していますし、日本のスタジオのレベルを引き上げるためにも、皆よりも一歩先に行かないとダメなんじゃないかと思ったんです。
今回、“アレイ再生”のシステムにしたのは、音を“点”ではなく“面”で鳴らしたかったからです。ぼくも昔は勘違いしていたのですが、空間オーディオでベッドをトップに送っても、鳴るのはミッドの2本だけで、全体で鳴ってくれないんですよ。サイドも同じく1本しか鳴らないので、デフューズ・サラウンドにならないんです。つまりAppleやNetflixの空間オーディオにおいては、ベッドという概念は存在しないということなんですよね。マルニスタジオでスピーカー調整をしているときにそのことに気づいて、試しに“アレイ再生”してみたら、天井の全部のスピーカーが鳴ってくれた。それで11.2.6chで“アレイ再生”ができるシステムにしようと思ったんです。
実はスピーカーの本数に関しては、最後の最後まで9.2.6chで進んでいたのですが、急遽サイドの2本を追加しました。映画館は後方にもスピーカーがあるので、“Studio 1”でグルっと音を回したミックスをダビングステージで聴くと、自分の感覚以上に音が後ろに回ってしまうんですよ。東映ダビングステージで主題歌のDolby Atmosの歌をチェックしたとき、やっぱり11.2.6chにしたいと思い、帰りに代理店に電話して2本を追加発注しました(笑)。360 Reality Audioのボトムに関しても同じで、最初は2本の予定だったんです。でも実際に鳴らしてみると、リアにもボトムがないと気持ちいい響きにならないので、2本増やして4本にしました。幸いLinea Research製の8chアンプを3台導入していたので、チャンネル的には問題なかったのですが、まさか24ch中23chも使ってしまうとは思いませんでしたよ(笑)」(古賀氏)
モニター・スピーカーは壁面埋め込み型のPMC ciシリーズを採用
“Studio 2”のシステムの核は、もちろんPro Tools | HDXシステムです。コンピューターはM2 Ultraを積んだ現行のMac Studio(128GBメモリ)で、SONNET Technologiesの拡張シャーシ xMac Studio/Echo IIIを使用してマシン・ルームのラックに収納。HDXカードは3枚というパワフルな構成で、オーディオ入出力を担うのは最新のPro Tools | MTRX IIです。
「Mac ProにHDXカードを装着するシステムも検討したのですが、レンタル・スタジオなのでご自身のMacを持ち込むエンジニアさんが使いやすいように拡張シャーシのシステムにしました。新しいPro Tools | MTRX IIは、DanteがBlooklyn 3になったので96kHzで128ch送れるようになり、SPQカードが内蔵されたのが良いですね。それでもカード・スロットは、ADカードが2枚、DAカードが2枚、SRC専用のMADIカード、TRINNOV用のDanteカード、DigiLinkカードが2枚と、すべて埋まってしまっているのですが、同じことを以前のPro Tools | MTRXでやろうと思ったら2台必要になると思います。DigiLinkカードを2枚装着しているのは、ステレオ、5.1ch、Dolby Atmosでチャンネルを切り分けたかったから。DigiLinkカード増設1枚でもキャパシティ的には足りるんですが、ステレオ作業とDolby Atmos作業でPro ToolsのI/O設定をわざわざ切り替えるのは面倒ですし、いろいろな人が作業するレンタル・スタジオとして、システムはできるだけシンプルにしておこうと。
今回、アウトプット・プロセッサーとしてTRINNOVも導入し、24ch入出力モデルをPro Tools | MTRX IIにDanteでループ接続しています。Pro Tools | MTRX IIのDanteカードでサンプル・レート・コンバートして96kHzでTRINNOVに送り、再びPro Tools | MTRX IIに戻しているわけですが、こういう接続にすることでMOMでミュートが可能になるんですよね。万が一TRINNOVが発狂しても、スピーカーを保護することができる。でも、TRINNOVですべての補正を行なっているわけではなく、Pro Tools | MTRX IIのSPQカードも併用しています。TRINNOVって、ディレイとかどれだけ補正がかかっているか分からないですし、細かい補正には向かないと思っているんですよ。なのでTRINNOVで大枠の補正をして、SPQカードのEQとディレイで微調整をしています。シネマ・カーブへの対応もそうですし、最後は人間の耳で微調整するのが大事だと思います」(古賀氏)
可動式で昇降できるデスクに置かれたAvid S1とAvid Dock
また、サブのオーディオ・インターフェースとしてPro Tools | MTRX Studio、コントロール・サーフェースとしてAvid S1とAvid Dockも用意されており、古賀氏はその優れた機能性を高く評価しています。
「コントロール・サーフェースに関しては、ぼく自身はフェーダーは1本あれば十分なんですけど、ポスプロの人はこれくらいのフェーダーが必要だろうと思い、Avid S1とAvid Dockを導入しました。イマーシブ・ミックスのパンニングでは、iPadのAvid Controlが便利ですね。Avid Controlは、スピーカー・ソロ・ボタンもかなり使いますし、アシスタントがいろいろな設定を割り振ってあって、バイノーラル・ミックスなどもAppleとDolby バイノーラルですぐに聴ける状態にしてあります。
Pro Tools | MTRX Studioは、“便利インターフェース”として活用しています。Pro Tools | MTRX IIって高機能なので、作曲家さんやクリエイターさんにはちょっと難しい機材なんですよね。でもPro Tools | MTRX Studioは比較的操作が簡単ですし、Thunderbolt™でパソコンを接続すれば、とりあえず何でもできてしまう。前面にはヘッドフォン出力も備わっていますし、この部屋のTRINNOVはDanteモデルでアナログ入力を備えていないため、マイクを接続するためのADコンバーターとしても使用しています。ただ、1つだけ想定外だったのは、Pro Tools | MTRX IIとPro Tools | MTRX StudioでMOMを共有できなかったこと(笑)。これはアップデートでぜひ実現してほしいところですね。
余談になりますが、これからの時代のエンジニアは、DADman、Dante Controller、TotalMix、この3つのソフトウェアを使いこなすスキルがマストになると思っています。でも、実際にはこの3つをちゃんと使いこなせる人が少ない。だからぼくは、若いエンジニアからオーディオ・インターフェースについて相談されたら、迷わずPro Tools | MTRX Studioを買いなさいと言っているんですよ。Pro Tools | MTRX Studioでプロファイルを組めるようにならないとダメだよと」(古賀氏)
マシン・ルームのラックに収納されたPro Tools | SYNC Xと、スタジオの核となるPro Tools | MTRX II
スタジオ内のラックに収納されたPro Tools | MTRX Studio
実作業の中心となるのはPro Tools Ultimateで、Dolby Atmosに対応したプラグインはすべてインストールしてあると語る古賀氏。中でもSound Particlesのプラグインが一番のお気に入りとのことです。
「特に気に入っているのがAudioMatrixで、あれを使うことでルーティングを簡単に変えられるようになるので、本当に大好きですね。LRの音をもっとワイドにしたいと思ったらすぐに対応できますし、Harpexで作成したアンビソニックスもそのまま入れ込めるので、凄く重宝しています。Sound Particlesは、AudioMatrix以外のオート・パンナー系も活躍していますね。
リバーブに関しては、昔からずっと使っているのは、やっぱりAudioEase Altiverbです。ただ、9.1.6ch対応と言っても、他社のリバーブも含めバンバン挿すことはできないので、リバーブ専用マシンを用意することを検討しているところです(笑)。
肝心のPro Toolsは、2023.6でバスが増えたことによって、9.1.6ch対応のリバーブ・プラグインが出始めたことが一番嬉しいですね。以前もモノ to 9.1.6chはDSpatialを使えば作れたんですけど、やっぱりオブジェクトを増やしたり、動かしたときのマスターの受け渡しが大変でしたから。2023.6で使えるようになったトラック・マーカーも最高に便利です。そして何と言っても2023.12のDolby Atmos Rendererの統合には驚きましたね。最初発表になったときは、“うわ、いろいろ導入したものが無駄になってしまうの?”と焦りましたけど(笑)、アレイ再生には非対応だったのでホッとしました。なのでこのスタジオには内蔵レンダラーは関係ないんですけど、それでもDolby Atmos Rendererが統合されたことによる恩恵を受ける人は多いのではないかと思います。これまではDolby Atmos Bridgeが必須だったのが、HDXで作業できるようになったのが大きいですし、音楽の人はもうPro Toolsだけで9.1.6chの空間オーディオを始めることができますよね。これは大きな進化なのではないかと思います」(古賀氏)
8K対応のプロジェクターと120インチのサウンド・スクリーンも設置されている
2023年12月8日にオープンした『Xylomania Studio』の新しいレンタル・スタジオ、“Studio 2”。古賀氏はエンジニアだけでなく、作曲家やクリエイター、映像作品に関わるサウンド・デザイナーや録音技師など、多くの人に利用してほしいと語ります。
「チューニングもだいぶ追い込めてきて、既にお世辞でも“世界一のスタジオ”と言ってくれる人もいますし、自分でも一般的なダビングステージに引けを取らない音になったのではないかと思っています。静寂性にもかなりこだわったので、ボリュームを上げなくても細かい音を確認することができる。それと8K対応のプロジェクターも、無駄じゃないかと思う人もいるかもしれませんが、今後はミュージカルとか8K定点で立体音響という仕事が増えていくと思っているんですよ。先ほども言いましたけど、最近はいろいろなコンテンツで予算が削減されているので、ここで作ったものがダビングステージを通らずにそのままBlu-rayや映画上映になるということが増えていくのではないかと。現時点で、こういうスタジオは東京にはここだけだと思いますし、“ここでできないことはない!”というシステムにするのが目標です。でも、きっと後追いで同じようなスタジオができると思っているんです。そうしたらぼくはこのスタジオを売り払って、次のステージに進みたい。いつの日か、徹底的にこだわったスコアリング/ダビング・ステージを造るのがぼくの夢なんです」(古賀氏)
Dolby Atmosは、Dolby Laboratoriesの登録商標です。Danteは、Audinate Pty. Ltd.の登録商標です。Thunderboltは、Intel Corporationまたはその子会社の商標です。
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