Xylomania Studio - Studio 1
レコーディング・エンジニア 古賀健一氏が語る
Pro Toolsを使った“音楽のイマーシブ・ミックス”
空間オーディオと360 Reality Audioによって、注目を集めている“立体的な音楽体験”。最近ではイマーシブ・ミックスを前提に作曲を行うアーティストも現れ、対応楽曲の数も日に日に増加しています。そんな“立体的な音楽体験”に、国内でいち早く取り組んできたのがレコーディング・エンジニアの古賀健一氏です。Dolby Atmos® に大きな可能性を感じた氏は、自身のスタジオ『Xylomania Studio』を改装し、Dolby Atmos/360 Reality Audioに対応した9.1.4.5chのイマーシブ・スタジオへとリニューアル。このスタジオを拠点に、Official髭男dismのライブ作品やミュージカルなど、音楽コンテンツのイマーシブ・ミックスを数多く手がけてきました。
「昔からホーム・シアターが好きで、自宅に7.1chのセットは持っていたのですが、Dolby Atmosに取り組んでみようと思ったのは、ハリウッドに行ったことと、『Inter BEE』の会場でNetflixの人と話をしたのがきっかけです。Netflixの人から、“日本語のガイドラインを作るので、日本でもDolby Atmosのコンテンツをたくさん作ってほしい”という話を聞いて、凄く興味を持ったんですよね。その後、Avidが主催したDolby Atmosのプレゼンテーションにも参加し、コロナ禍で余裕ができた時間を利用して、ちょうど改修予定だったスタジオをDolby Atmosに対応させることにしたんです」(古賀氏)
新生『Xylomania Studio』のモニター・システムは、PMCのtwotwoシリーズで、フロントLCRはtwotwo.8、Ls/Rs/Lb/Rb/360 Reality Audio用のボトムはtwotwo.6、サブ・ウーファーはtwotwo sub2×4、Topはtwotwo.5×4という構成。スタジオ施工会社を通さず、有限会社リビングアイと有限会社サーロジックの協力の元、設計/施工されたとのことです。
「とにかく“音の良いスタジオ”を実現したいと思い、音響設計の会社に丸投げするのではなく、これまで培ってきたノウハウを元に、試行錯誤しながら造っていきました。日本の音響設計の会社は凄く優秀だと思いますが、最後は実際にスタジオを使う人間が追い込んで、仕上げなければならないと思っているんです。なので音響学的なことは大学のオンライン講座を受講したり、建材とか吸音材とか、少しずつ知識を蓄えていった感じですね。これまでブースとして使っていたスペースを改装してAtmosのスタジオを造ったんですが、音を聞きながら変更していったので、実は詳細な設計図は存在しません。来年中には従来のコントロール・ルームもリーズナブルに使えるAtmos & 360仕様に改装しようと考えています」(古賀氏)
古賀氏のホームグラウンド、『Xylomania Studio』
モニター・システムは、PMCのtwotwoシリーズ
天井に設置された4本のハイト・スピーカー
スタジオの中心となるのは、もちろんPro Toolsです。Pro Toolsに関しては専門学校時代から使っていたという古賀氏ですが、完全に“In-The-Box”ミックスになるまでには時間がかかったと語ります。
「青葉台スタジオ時代はアナログテープに録ったり、SSLでミックスするというのが基本で、完全にPro Tools内部でミックスするようになったのはここ数年のことです。Pro Toolsミックスと言っても、一度SSLやアウトボードを通すことがほとんどでしたし、サミング・ミキサーも使っていたのでハイブリッドな制作環境でした。サミング・ミキサーを使うことで、Pro Toolsの利点であるリコール性は維持したまま、SSLのバス・コンプレッサーやApogeeのコンバーターを使用したりしてアナログの音質にはこだわっていました。それが時代とともに、サミング・ミキサーのチャンネル数が16ch、8ch、2chと減っていき、最終的に使わなくなったという感じです。現在はほぼPro Tools内部ミックスですね」(古賀氏)
『Xylomania Studio』のPro Tools | HDXシステムは、現行のMac ProにHDXカードを4枚装着したパワフルな構成で、オーディオ入出力を担うPro Tools | MTRXとHT-RMUはMADI、PMC twotwoシリーズはAESですべてデジタル接続されています。
「スピーカーのアナログ接続も試したことがありますが、マルチ・チャンネルスタジオならばダントツでデジタル接続の方がよかったです。アナログ接続ですと、音が緩いというか、フォーカスが滲んでいて、広がり感はあるんですけど、正しい音ではない気がします。Pro Tools | MTRXに関しては、その存在をまったく意識することなく、ストレスが無いのが素晴らしい。ぼくのPro Tools | MTRXは、ライブ録音をすることも多いので8 Mic/Line Pristine AD カードを装着してあるのですが、HAのS/Nも凄くいいですね。0.1dB単位で合わせられるゲインも、アンビソニックス・マイクを使う際に重宝しています。また、SPQスピーカープロセッシングカードも使用していますが、音響に関してはできるだけルーム・アコースティックで追い込みたいと思っているので、プロセッシングとしては最低限の使用に止めています。ディレイとEQを2、3ポイント程度マイナス方向で修正しているくらいですね」(古賀氏)
『Xylomania Studio』のPro Tools | HDXシステム。HDXカードは4枚使用
オーディオ入出力を担うPro Tools | MTRX。音場補正用にSPQカードも活用
傍らに置かれたAvid Dock
現在はDolby Atmosコンテンツに全力で取り組んでいるという古賀氏。“音楽のイマーシブ・ミックス”に関しては、「エンジニアの感性が如実に現れるので、“この曲をイマーシブでどう表現しよう”と考えるのが楽しくて仕方ない」と語ります。
「“ああいうタイプの音楽に合う”とか、“ああいうタイプの音楽には合わない”といった話をたまに耳にしますが、ぼくはジャンルによって合う/合わないは無いと思っています。打ち込みものの音楽であれば、ステレオでは難しかった音の動きを作ることができますし、アコースティックものの音楽であれば、スタジオやホールの音を正確にキャプチャーして、現実の音に近づけることができる。どんなタイプの音楽にも合うと思います」(古賀氏)
チャンネル・ベースの音源=“ベッド”と、空間に自由に配置できる音源=“オブジェクト”の組み合わせで音像を作っていくDolby Atmos。古賀氏は「空間を表現するためにはオブジェクトの使い方が重要になってくる」と語ります。
「勘違いしている人も多いのですが、オブジェクトだからと言って動かす必要はないんですよ。ベッドだけだと天井の音はステレオなので、球体ではなくピラミッドのような音像になってしまう。立体的な音の表現にはオブジェクトは不可欠なんです。それとミックス時は、再生環境のことを意識しながら作業しています。基本9.1.4chで作業していますが、Dolby Atmos Mastering Suiteのリレンダラーを使って7.1.4chでの音像は常に気にしていますし、5.1chも確認する。9.1.4chで良い感じの音像だったとしても、7.1.4chであまりに表現が違ってしまうようだったら音の配置を変えますし。また、日本ではApple Musicの空間オーディオ独占配信という仕事も多いので、スピーカーでのミックスがある程度完成した段階でMP4に変換し、E-AC−3(DD+JOC)をiPhone & AirPodsで試聴して、気になった箇所を補正するの繰り返しです。それで問題なければ、AC4のバイノーラルの音でも確認してみるという流れですね。その差がなくなるように、スピーカーの調整を追い込んでます。また、傍らにはAppleレンダラーの音をリアルタイムで確認できるM1 Mac&Apple Logic Proも立ち上げ、Dolby AtmosレンダラーとAppleレンダラーの聴き比べも行っています。レンダラーによってもかなり音が違うので、そのあたりも気にかけた方がいいですね」(古賀氏)
レコーディング・エンジニア、古賀健一氏
Dolby Atmos対応のプラグインはすべてインストールしてあるという古賀氏。中でもSound ParticlesとLiquidSonics、DSpatialのプラグインがお気に入りとのことです。
「リバーブはLiquidSonicsかDSpatialを使うことが多いです。でも、Dolby Atmos非対応の7.1chや6.1chのプラグインを使うことも多いですよ。ReVibeも5.1ch対応のプラグインですが、Dolby Atmosミックスで積極的に使っていますよ。Sound Particlesもおもしろいので活躍していますが、あれで音を回せるのはベッドということを意識しないといけません。5.1chでミックスした映画の主題歌が、今後いつの間にかDolby Atmosで上映や配信される可能性もあると思うので、ベッドを使って面で音を鳴らすべきなのか、あるいはオブジェクトを使ってスピーカーと1対1で音を回した方がいいのか、それは凄く考えます。Sound Particlesで回すとベッド、Dolby Atmos Music Pannerで回すとオブジェクトですし。現在はAppleやNetflixの推奨が7.1.4chでも、何年か後には11.1.6chになっているかもしれませんしね。プラグインに関しては、ひととおり揃っていると思いますが、AAX DSP対応のものがもっと増えてほしい。AAX DSP対応のリミッターなんて、現状、Nugen Audioの1つしかないですからね。Fluxの新しいリミッターも凄く良くて7.1.2chでも使えるんですけど、AAX Nativeでしか使えない。もちろん、今やDSPでは複雑な処理ができないという開発サイドの事情は理解しているんですけど……。でも、Dolby Atmosミックスではトラック数が膨大で、一番速いMac ProにHDXカードを4枚挿していますが、大規模なLiveセッションだと全然パワーが足りないですから」(古賀氏)
古賀氏の直近の仕事となるのが、10月5日にリリースされるOfficial髭男dismのLIVE DVD/Blu-ray & LIVE CD、『「one-man tour 2021-2022 -Editorial-」@SAITAMA SUPER ARENA』(ポニーキャニオン)です。Blu-rayに収録されているDolby Atmosミックスでは、まるでさいたまスーパーアリーナにいるかのような臨場感のあるサウンドを体験することができます。空間オーディオも音源のみリリースされるのですが、そちらはミックスを少し変えています。
「Official髭男dismの場合は、もうDolby Atmosミックスをすることを前提にライブ収録しています。今やぼくだけでなくスタッフも、ライブはDolby Atmos以外のミックスはあり得ないという感じになってくれてます。今回はさいたまスーパーアリーナだったので、キャットウォークからアンビソニックス・マイクを垂らしたり、ステレオよりも3倍くらいのマイクをいつもセッティングしています。アンビソニックス・マイクは4chから7.0.4chに展開し、シーケンスもパラで再ミックスしたりしていたら、普通に1500ボイスとかになってしまいましたね。もはやハイブリッド・エンジンじゃないと作業できません。ミックスは基本、会場の臨場感をキャプチャーしてという感じなんですけど、Official髭男dismではエフェクト的な要素もけっこう盛り込みます。今回で言えば、雷の音とかヘリコプターの音とか、メンバーがDolby Atmosミックスを意識して、そういうSEを作ってくれるんですよ。“古賀さん、回せる音を入れておきましたよ!”って。そしてそういったSEは、Sound ParticlesのBrightness Pannerを使って動かしたり。それとBlu-rayではあるのですが、映画館での音像というのは常に意識しながら作業しています。例えば、ハード・センターの使い方とか。なぜかと言えば、これはOfficial髭男dismに限った話ではないのですが、どのアーティストも将来映画館でDolby Atmos上映したいと考えていると思うんですよ。もちろん、今回のミックスをそのまま映画館で流して通用するかと言えば、それは別の話ではあるんですけどね」(古賀氏)
最近は360 Reality Audioのミックスにも積極的に取り組んでいるという古賀氏。Dolby Atmosと360 Reality Audio、どちらのミックスにもPro Toolsは無くてはならないツールであると語ります。
「Pro Toolsは2022.6でDolby Atmos機能が強化されて、ミックスがやりやすくなっています。パンナーとレンダラーが紐づいて、直感的に作業できるようになっているので、ストレスが無い。それとビデオ・トラックのムービー上にタイムコードを表示できるようになったのも嬉しいです。頻繁にバージョン・アップされてどんどん使いやすくなっているPro Toolsですが、イマーシブ・ミックス系の機能についてはまだまだ進化の余地があると思っています。クアッド・オブジェクトに対応してほしいですし、360 Reality Audioの作業もDolby Atmosと同じくらい直感的にできるようになったらいいですね。今後のバージョン・アップに期待しています」(古賀氏)
Official髭男dismのLIVE DVD/Blu-ray & LIVE CD、
『「one-man tour 2021-2022 -Editorial-」@SAITAMA SUPER ARENA』(ポニーキャニオン)
Dolby Atmosは、Dolby Laboratoriesの登録商標です。
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