TWICE、Mrs. GREEN APPLE、King & Prince、家入レオといったトップ・アーティストの作品を数多く手がけるレコーディング・エンジニア、グレゴリ・ジェルメン(Gregory Germain)さん。フランス・パリ出身のグレゴリさんは、日本のカルチャーに惹かれて2004年に単身来日。渋谷の専門学校でエンジニアリングを学び、卒業後は東京を拠点にレコーディング・エンジニアとして活躍しています。
「アニメ、マンガ、ゲーム、そしてもちろん音楽。日本のカルチャーがすごく好きだったので、18歳のときに短期留学という形で東京を訪れたんです。そのときは短い滞在だったのですが、人はやさしいし、食事も美味しく、なんて住みやすい街なんだろうと感激して。この街に住みたいと思い、2年後の20歳のときに再来日しました。人からは、“何か日本と縁があったの?”と訊かれましたが、まったくありませんでしたね。ぼくが育ったのはパリのチャイナ・タウンですし(笑)。だから最初、親は日本に行くことに反対していましたよ。
レコーディング・エンジニアを志した理由は、何かしらクリエイティブな仕事がしたかったからなんです。音楽は昔から好きで、当時はイギリスのトリップホップやフランスのヒップホップ、ハウス、日本のアーティストですと椎名林檎さんとか宇多田ヒカルさんとかを聴いていました。それでいろいろ調べているうちにレコーディング・エンジニアという職業を知り、アーティストを裏から支えるのはおもしろそうですし、表に出たくない自分に合っている仕事だなと思ったんです」
グレゴリ・ジェルメン(Gregory Germain)さん
フランスの大学を中退後、有名な『SAE Institute』(注:世界最大規模のメディア・トレーニング機関)のパリ校に半年ほど通ったというグレゴリさんですが、来日して『東京スクールオブミュージック専門学校』(東京・渋谷)に入学。『東京スクールオブミュージック専門学校』で学んだ2年間は、今の自分の大きな糧になっていると語ります。
「当時はフランスの専門学校よりも日本の専門学校の方が設備が良かったんですよね。ちゃんとPro ToolsやSSLもありましたから。そして『東京スクールオブミュージック専門学校』を卒業した後は、アシスタントとして『スタジオ・グリーンバード』に就職しました。たくさんスタジオがある中から『スタジオ・グリーンバード』を選んだのは、生楽器の録音に対応したオーソドックスなスタジオに入った方が自分のためになると思ったからです。『スタジオ・グリーンバード』の後は、多くの作家さんが在籍しているDigzというプロダクションに約10年お世話になり、少し前に自分の会社、『Sonic Synergies Engineering』を設立して今に至ります。
プロのエンジニアになって10年以上経ちますが、いまだに研鑽の毎日ですね。『Mix With The Masters』が始まってからは、受講しにアメリカに何度も行きましたし、海外の『AES Convention』のセミナーに参加することもあります。ああいうセミナーに参加すると、いろいろなものを吸収することができますし、受講する度に学びがありますね。もちろん、インターネットの記事やYouTubeなんかもチェックしていますよ。たとえばアメリカの雑誌、『Tape Op』のポッドキャストはよく聴いていて、すごく有益な情報を得ることができます。ポッドキャストと言えば、Kush Audioのグレッグ(Gregory Scott氏)がやっていた番組もめちゃくちゃおもしろかった。残念ながらもう終わってしまったんですけど。
好きなレコーディング・エンジニアは、海外の人ですとマニー・マロクインですね。深みのあるサウンドと、オーガニックな質感がすごく好きです。それとマイケル・ブラウアーも大好きで、ずっと研究していますね。録りに関しては、スティーヴ・アルビニの概念に影響を受けていると思います。日本のエンジニアでは、何と言っても渡辺省二郎さんですね。当時、CharaさんとかUAさんとか、いわゆる和製R&Bが好きだったんですけど、クレジットを見ると大抵、省二郎さんが手がけていたんですよ。大好きな安藤裕子さんの『Merry Andrew』とか……。『スタジオ・グリーンバード』に就職したのも、省二郎さんが使っていたというのが半分くらいの理由だったりします(笑)」
いまだに研鑽の毎日と語るグレゴリさん
そんなグレゴリさんのクリエイティブ・ワークの中心となるのは、もちろんPro Toolsです。メイン・マシンでは常に最新バージョンを使用しているとのことで、プラグインも定番のものからマニアックなものまで大量にインストールされています。
「Pro Toolsはバージョン5から使用していますが、どんどん良くなっている印象ですね。フォルダトラックは今や欠かせない機能ですし、2023.6で追加されたトラック幅/バス幅もすごく便利です。それまではステレオ・トラックを7.1chに変更する場合、一度トラックを削除してからI/O設定を変えたり、いろいろな段階を踏まなければならなかったんですけど、新しいトラック幅/バス幅では瞬時にフォーマットを変更することができる。インサートしてあるプラグインも、変更後のフォーマットに対応していればそのまま維持されますしね。それと何より、Appleシリコンへの対応も大きかったです。昔のセッションを開くときのために、一応Intelマシンも残してあるんですが、たまに使用すると“こんなに遅かったっけ?”と驚きますよ(笑)。Appleシリコンで使用するPro Toolsは一瞬で起動するので、もうIntelマシンには戻れないですね。
プラグインで活躍しているのはFabFilterで、Pro-Q 3、PRO-R 2、PRO-MBと、全部使っています。あと最近はGoodhertzもよく使っていますね。もちろん、WavesやUniversal Audioといった定番ものも使っていて、UADプラグインですとStuder A800 Multichannel Tape Recorder、Neve 2254/E、APIのEQ、Moog Multimode Filter Collectionといったところが好きです。Wavesはほぼ全部使っていますが、一番よく使うのはRenaissanceシリーズとシグネイチャー・シリーズ。R-Voxなんて古いプラグインですけど、いまだに代わりになるものが無いのがすごいですよね。でもプラグインに関しては多過ぎなので、少し整理しないといけないなと思っています」
Pro Toolsは常に最新バージョンを使用
加えてグレゴリさんの作業で“マスト・ツール”となっているのがCelemony Software Melodyneで、Pro ToolsがARAに対応したことによって、ワークフローが劇的に変わったと語ります。
「ウチには専門のチームがあるくらい、ボーカルのピッチ修正というのは重要なんですけど、Pro Toolsの中でMelodyneが使えるようになったことで、ワークフローがめちゃくちゃ変わりましたよ。それまではピッチ修正をする場合、Melodyneを別に立ち上げて、そちら側でコミットしなければならなかった。それによってクリップ・ゲインやオートメーションも全部やり直しになってしまうので、すごく面倒だったんです。しかし今は、インサートしてあるプラグインもそのままの状態で、Pro Tools上で即座にピッチ補正をすることができる。新しい2024.6では、iZotope RXのRX Spectral Editorも使えるようになりましたし、Pro ToolsがARAに対応してくれたのは本当に大きな進化ですね」
グレゴリさんの新しいホームグラウンド『Studio Eight』(Studio C)
“Studio A”のコントロール・ルーム
“Studio A”のレコーディング・ブース
そして今春、グレゴリさんが主宰するエンジニアリング・チーム『Sonic Synergies Engineering』は、東京・世田谷に『Studio Eight(スタジオ・エイト)』と命名された新しいスタジオを開設しました。環八沿いにある『Studio Eight』は、広大なレコーディング・ブースを擁する“Studio A”、MAなどのポストプロダクション作業に対応する“Studio B”、コンパクトながら様々な作業に対応する“Studio C”という3部屋で構成され、ヴィンテージのギター・アンプや貴重なアナログ・シンセサイザーなど、楽器類が充実しているのも特徴です。
「自分たちのホームグラウンドとなるスタジオがずっと欲しいと思っていたんです。でも東京だと、なかなか条件に合う物件が見つからなくて……。広くても天井が低かったり、天井が高くても上階が普通の住居だったりして、それこそ50件以上内見したと思うんですけど、なかなか良い物件が見つからなかった。東京の賃貸物件が競争が激しくて、4m以上天高がある物件はすぐに埋まってしまうんですよね。そんなときに紹介してもらったのがここで、以前もレコーディング・スタジオだった物件なのですが、広くて部屋が複数あり、これは良いなと思いました。スタジオをゼロから造るとめちゃくちゃ時間がかかりますし、ここに自分たちの機材を持ち込んで、新しいコンセプトで始めてみようと思ったんです。
自分たちのスタジオを造るにあたって、アイディアとしてあったのが“モジュラー”というコンセプトです。ネットワークで繋がった部屋が複数あって、音楽のレコーディングからミックス、マスタリング、スコアリング、映像作品のポストプロダクション、サウンド・デザインに至るまで、すべての作業がここだけで完結するスタジオ。ハリウッドの『Skywalker Sound』の日本版というか、一箇所でいろいろな作業に対応できるスタジオにしたいと思ったんです。そういうスタジオって意外と東京にはないじゃないですか。まずは“Studio C”からで、“Studio A”と“Studio B”はまだ手付かずなんですが、これからステップを踏んで、この“モジュラー・コンセプト”を追求していきたいと考えています。
“Studio B”のコントロール・ルーム
サウンド・デザイン・ルーム
主にミックスとマスタリングに使用される“Studio C”は、大型コンソールがないコンパクトなスタジオです。Pro Toolsのホスト・コンピューターは、M2 Maxチップを積んだMac Studio(メモリは64GB)で、Sonnet Technologiesの拡張シャーシにHDXカードを1枚装着。オーディオ・インターフェースはPro Tools | MTRX IIで、サブのインターフェースとしてPro Tools | Carbon、コントロール・サーフェスのAvid S1も2台用意されています。
「ぼくは初代Pro Tools | MTRXを2台持っているのですが、新しいPro Tools | MTRX IIは音の分離感がさらに良くなった印象があります。また、初代Pro Tools | MTRXも十分静かでしたけど、静寂性も向上しましたね。新しいPro Tools | MTRX IIではSPQカードがデフォルトで入りましたが、現在はアナログでスピーカーを調整している段階なので、まだ使用していません。そういった機能に頼り切ってしまうのは、個人的にあまり好きではないので、使用したとしても本当に微調整という感じになると思います。
サブのインターフェースのPro Tools | Carbonもすごく気に入っています。マイク・プリアンプが入っているので、1台でいろいろなことができますし、音も良い。チームの中には他のDAWを使っている人もいるのですが、Pro Tools | Carbonならケーブル1本でセットアップが完了しますからね。ぼくは普段、Pro Tools | MTRX IIで作業しているのですが、Pro Tools | CarbonにMacBook Proを接続して、Spotifyでリファレンスの曲を再生したりしています」
Pro Tools | MTRX II
Pro Tools | Carbon
メインの作業デスクの両脇には、厳選されたアウトボードを収納したラックも配置。レコーディングにも対応できるように、Fractal Audio Systems Axe-Fx IIやManleyのDIなども収納されています。
「ぼくはイン・ザ・ボックス・ミックスではなく、アナログ機材を併用したハイブリッド・ミックスで作業を行っているんです。具体的にはPro Tools | MTRX IIの16chのアナログ出力をサミング・ミキサーでミックスし、Sontec MES-432C(EQ)、Waves PuigChild(ダイナミクス)、Avalon Design AD2055(EQ)を通してPro Toolsに戻しています。バランスはPro Toolsの中で取るので、サミング・ミキサーでレベルを変えるということは基本的にしません。32bit floatになってイン・ザ・ボックス・ミックスで問題ないと言う人もいますが、やはりアナログ・サミングだと全然違いますね。特にぼくが使っているサミング・ミキサーは40dBのヘッドルームがありますから。たまに家で仕込まなければならないときとか、サミング・ミキサーやアウトボードを使えないときもあるんですが、イン・ザ・ボックス・ミックスですと、いろいろなトリックを使ってもすぐに飽和してしまうんですよ。サミング・ミキサーを使用した方が、ヘッドルームに圧倒的に余裕があります。サミング・ミキサーに出力するまでは、Pro Tools上でプラグインで処理しているのですが、今後はその部分でもアナログ処理をしようと考えています。最近はMcDSP APB-16など、アナログなんだけれども、ケーブル1本でセットアップが完了してしまう便利な機材が登場し始めていますから」
“Studio C”のデスク右側に置かれたラック
“Studio C”のデスク左側に置かれたラック
“Studio C”のメイン・スピーカーは、Amphion Two18+Amp700で、フル・レンジで再生するためのベース・ユニット、BaseTwo25+BaseAmp1200も併用。モニター・コントローラーとして、Grace Design m905も用意されています。
「スピーカーに関しては、ぼくは完全に“Amphion派”なので、まったく迷いませんでした。Amphionは音の透明感がすごいというか、スピーカーのクセがほぼ無いのがいいんです。その昔、トニー・マセラティのセミナーを受講したとき、参加者のミックスを皆で聴くというコーナーがあったんですけど、そのときにトニー・マセラティが、“君たちがどんなスピーカーを使ってミックスしたかが見える”と言っていたんですよね。“ミックスと一緒にスピーカーも聴こえる”と。スピーカーにクセがあると、その特性に自分が引っ張られる感じがして、それが好きな人もいるんでしょうけど、ぼくはスピーカーに自分を引っ張られたくないので、一番クセのないAmphionを使っています。BaseTwo25に関しては、あると無いのとでは全然違いますね。低域の出方やレンジがまるで違います。
モニター・コントローラーに関しては、シンプルにMOMという選択肢もありましたが、DADmanを使わないといけないので、外部から来た人には少し難しいかなと。Macを複数台使用する場合も専用のモニター・コントローラーがあった方が分かりやすいと思って、Grace Design m905を導入しました」
“Studio C”のモニター・スピーカーは、Amphion Two18とBaseTwo25
完成した“Studio C”について、「イメージどおりのスタジオになってとても満足している」と語るグレゴリさん。今後はスピーカーを増設し、Dolby Atmosへの対応も検討しているとのことです。
「最近は、ぼくが録ってミックスし、そのままDolby Atmos®ミックスも作るという流れがあるので、この部屋もそういった作業に対応できるようにしたいと考えています。スピーカーは、IK Multimedia iLoud MTM MK2の導入を検討していて、コンパクトで場所を取らないですし、他のスタジオで最終的な調整をするということを考えれば、性能的にも十分かなと。その次のステップとしては、“Studio B”の映像面を強化させて、各スタジオでデータをやり取りできるように、ネットワークも構築したいと考えています」
Audio Random Access(ARA)、CelemonyおよびMelodyneは、Celemony Software GmbHの登録商標です。Dolby Atmosは、Dolby Laboratoriesの登録商標です。
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